大 湊 雑 感

元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
10 「あおくも」「あきぐも」練習艦への改造
 長谷川総監からお呼び出しがあり、総監室に伺うと、「函館どつくの経営が苦しい。「あおくも」と「あきぐも」の改造を函館どつくで施工できないか。このために、俺が実施できることは何か。」と言うことだった。
 練習艦への改造工事は、通常転籍を伴うので、改造工事を実施する総監部をどちらにするか、海幕業計で示していた。転籍は年度末であるが、転籍前に国債により改造工事を開始することから、現所属、すなわち転籍前の総監部で実施するのを常としていた。このため練習艦を運用している呉の、細かな運用実績を反映することが難しく、この点を練習艦隊から厳しく指摘されていた。海幕で練習艦改造の担当者だった小生は、従来の海幕業計方針を変更し、転籍前にもかかわらず、改造工事の施工総監部を練習艦隊が所属する呉とするよう、変更したのである。
 正に朝令暮改、しかもその担当者自ら、元に戻すのであるから、少しは躊躇するのかと思われるところであるが、シレッと「判りました。技術サイドは調整しますが、転籍に伴う乗員の移動および呉総監部の予算執行の問題もありますので、呉総監とご調整をお願いします。」「俺が、仲摩(呉総監)と調整すればよいのか。」「ハイお願いします。」
 総監は、その場で呉総監に電話し、「函館どつく救済のため、「あおくも」「あきぐも」の改造工事を大湊でやらせて欲しい。大造補所長である安生から、乗員の転勤、移動の影響が大きいため、呉総監の同意が必要とのことなので電話した。」といきなり話された。仲摩呉総監は、大造補所長が防大の学生時代、学生舎の部屋長、部屋子の関係だったので、よく知っていることから、特に質問もせず「了解だ。あとの調整をお願いする。安生によろしく。」とだけで終わった。
 呉総監が了解したので、後は問題なく、海幕艦船課、造船工業会等との調整に少々の嫌味があったが、スムーズに行うことができた。
 後日、造工の幹事会社であるIHIの森岡営業部長から、「函館どつくは、官からこれだけ面倒を見てもらい、幸せだ。相当感謝されたでしょう。」と、皮肉半分の電話をいただいた。それはそうでしょう、1隻当たり数億円を超える定期検査及び改造工事を受注する予定であったIHI呉およびMES玉野から、突然前触れもなく函館どつくに変更されたことは。造工の幹事会社として、面目丸つぶれだったのだから。しかしながら、函館どつくは、当然のことと思っているのか、総監は不明であるが、直接の実務担当である造補所長には、何の話がなかったのである。また、造工にも全く仁義を切らなかったようである。函館どつくらしいと言えばそれまでであるが、このような認識では、先が思いやられるところでもあった。
しかもこれで終わったわけではなかった。当時、函館どつくには、海自オペレーター出身の蛇穴OBがおられた。蛇穴OBは、決して偉ぶることない誠実なお人柄で、尊敬できる先輩だった。ただオペレーター出身なので、艦船修理における調整等に不慣れなため、相当ご苦労されていたようである。そのような方でも時々チョットであるが、造補所長にボヤクことがあった。ある日、突然来られて、「いま当社で、労働組合から待遇改善の要求があって、要求が通らない場合「あおくも」「あきぐも」の完工引渡しを阻止すると言っているが、この場合、官はどうなりますか。」と相談を受けた。まさに青天霹靂、「お客である海自艦船を人質かよ。この会社どうなっているの。」という衝撃だった。「造補所長が、これの対応を決定する権限はありませんが、ひとこと言えるのは、艦船の修理工事において、今後御社を指名することはできなく、したがって艦船修理工事すべて、受注できなくなるのは必至でしょう。」と説明したところ、「すぐ帰って調整します。」とのことであった。蛇穴OBの説得によるものなのか、「あおくも」「あきぐも」は予定どおり、無事完工することができた。完工後、函館どつくのそれなりの方からの挨拶はなく、蛇穴OBのみ。

11 「はつゆき」型の定期検査
 「はつゆき」型の定期検査に対し、函館どつくは何も準備なしに、大湊警備区の造船所は自分のところ以外はないのだから、当然のこと受注できるものと考えていたようである。「はつゆき」型はシステム艦なので、造船所指名に際し、修理能力、秘の管理等の受注資格要件の有無があった。函館どつくは、年次検査について特に資格を問われず、受注施工できたことから、定期検査もこの延長で、受注できるものと考えていたのである。システム艦装備品の技術管理、工程管理の難しさを全く勉強せず、まさに官任せであった。
 造補所長は、かって呉造修所艦船科長の時、「はつゆき」型をIHI呉が基地造船所であることから、当然受注できるものと何も配慮していなかったことがあった。そしてイザとなれば、IHI東京の支援が得られることから、技術的に何ら問題ないと考えていたのである。しかしながら、これを認めれば、三菱鯛尾、日立因島もそれぞれMHI長崎、HZ舞鶴の建造造船所の支援が得られることから、受注を目指すのは目に見えていた。これはまずいと、IHI本社の伊藤営業課長にお出ましをお願いし、東京工場においてIHI呉の関係者の研修を実施することで、技術的な資格を獲得する段取りを図った。これにより造工等の了解を得ることができ、「はつゆき」型の定期検査について、同型建造造船所であるMES玉野とIHI呉の2社を指名することができた。今回もまさに同じで、何らかの対策なしで指名した場合、造工等からかなりの反発を受けることになる。
 造補所長は、函館どつくの蛇穴OBと調整し、函館どつくの社内に研修の必要性を認識させることをお願いした。またIHI本社に、東京工場で函館どつくの研修を実施してくれるようお願いした。後日聞いたところによれば、函館どつく社内では当初、「何で研修をする必要があるのか。費用がかかる。」と良い顔されなかったようだが、蛇穴OBが必死に説得し、やっとゴーのサインが出たようである。
 IHIは、呉の件もあることから、快く研修を実施していただき、函館どつくが定期検査を無事受注することができた。

12 将来計画
 総監部の施設課長と雑談をしていた時、「大湊地区において、地区対策として、年間1億円程度の建設土木工事を、継続発注する必要がある。ただ最近、部隊庁舎等、インフラ整備がかなり整ってきていることから、適切な事案が見当たらない。」というような話が出た。このことから、レクレーションセンター、ドックハウスと順次整備しているようである。
 これをうまく利用すれば、造補所の整備を有利に進められる。このためには、造補所の施設関連の将来計画を策定し、優先順位のもと、逐年整備を要求すればよいことになる。本来、過去の部隊要望との整合が必要であるが、これとは別に主要な施設要望は、つぎの3点とした。
(1) 本工場建替え
 本工場の建屋は、かなり老朽化が進んでおり、内部設備も旧式で効率的でないので、全面的な建て替えとする。正直なところ、本工場のかなりの部分を占有している工作機械は、「HIZEN」と製造メーカが印されているものもあり、使用頻度は極めて少なく、骨董的な価値以外なにもない状態であった。担当係員の献身的なメンテナンスで状態は、極めて良好で使用可能であったが、今後必要な工作機械について、整理しなければならない。したがって建替え時の本工場レイアウトは、現在の各ショップの占有面積ではなく、新たに検討し直す必要があったのである。建替えは、現在の場所ではなく、同じく老朽化している造補所の本庁舎の建て替えと合わせて、ドックの近傍に移転し、ドック前の修理岸壁と一体化する。またディーゼル機関運転場等、使用していない施設も整理する。
(2) ドック前南東護岸
 ドックのゲート前南東護岸が、老朽化により崩れ始めているので、この際艦船が係留できる修理用岸壁とする。PG整備終了後、不要となった75トンクレーンを移設(固定)し、修理用として使用する。また、この岸壁を緊急時の弾薬等の積込み用として使用する。75トンクレーンを、ドックのサイド走行クレーンとして移設、使用する案について、よく聞かれたが、走行クレーンへの改造、レールの敷設等に多大な費用が掛かり、またメンテナンス費用も馬鹿にできない。それでも使用頻度が高ければ、実施する価値もあるが、大湊ドックの稼働率があまりにも少なく、コスパが悪すぎるので、現用の自動車クレーンで十分と判断して、部隊要望していない。
(3) 旧補給所地区とのアクセス
 旧造修所地区と旧補給所地区は、国道で分断されている。このため、旧補給所に隣接している弾庫から、艦艇に積込み、積下しする際、警察から道路使用許可を得て、国道を使用しなければならない。緊急時にいちいち警察の許可を必要とするのは、非常にまどろっこしい限りである。そこで、両地区を繋ぐため、国道を横断する地下道を新設する部隊要望を行った。
 当時、冬季の積雪を考慮して地下道としたが、後日、陸橋が架橋されたと聞いている。

 この3点は、互いに連接しており、既施設とも連接を取る必要があるので、松戸企画室長に研究させるとともに、造船所に移設後の本工場レイアウト及び装備品陸揚保管庫等について、委託研究をお願いした。その結果をもって、総監部等にアピールするため、将来の施設計画ジオラマを作れと指示したが、成果を得るまでの時間が、小生には残されてなかった。
(続く)
Ⅴ 大湊造修補給所長兼大湊地方総監部技術補給監理官