大 湊 雑 感

1 大湊地方総監部防衛部付へ
 平成10年8月防衛部付に転出した。朝、オペレーションに出席した後、全く仕事なし。大湊造修所長は、同期の佐藤1佐であり、お互いよく知っていたので、邪魔をしないよう造修所に行くことなく、午前中地下の防衛部、午後日を浴びるため、総監部構内をブラブラという、給与をもらうのが恥ずかしい生活をしていた。もちろん休日は、渓流釣りとゴルフに勤しんだのは、言うまでもない。
 大造所工作部長離任の際、「また戻ってくるぞ、」との一言に、「そんなことはあるメー。」と高を括っていた工作部員は、少しパニクッタようであり、またいろいろと噂を聞いている補給所員も、同様であった。

2 大湊造修補給所長兼大湊地方総監部技術補給監理官へ
 平成10年12月大造補所長に着任、防衛部付からの移動なので、総監はじめ各級指揮官とも顔なじみであるため、新編したばかりの部隊であるにも関わらず、挨拶は簡単に済ませることができた。
 かわいそうなのは、副所長に着任した繁田1佐である。所長が技術なので、副所長は当然、経補マークである。緊張している副所長に、「大湊造補所の副所長には、周囲からいろいろ言われ、相当な覚悟をもって着任しただろう。ご苦労様。」と言ったところ、否定しなかった。予想通り、海幕おける経理部との予算要求時のやり取り、需統隊でのいろいろな経緯等、経補畑には、小生の行状に関する悪いイメージが相当浸透しており、いわば不俱戴天の敵と認識されていたため、副所長着任に際し、相当引導を渡されていたようである。
 需統隊業務1部長に転出する際、「何で船体マークが需統隊なの。」とブツブツ文句たれていたが、造補所長に着任してみると、補給業務に携わったのは正解、非常に役立った。遅ればせながら人事に感謝である。

3 地方総監部における立場
 大造補所長が、他の造補所長以上に気を使わなければならないのは、むつ市における立場である。むつ市は、他の総監部所在地に比べて、規模が小さく、海上自衛隊の、むつ市における財政上の貢献は極めて大きい。かつては、六ヶ所村の原燃景気に支えられていたが、再処理工場稼働の遅れ等もあり一時の景気感はひそめ、田名部の飲み屋街は、閑古鳥が鳴いていた。海自隊員の給与による消費活動等を除き、むつ市の業者に直接落とす予算の大半である生糧品、文房具等の調達費、艦船修理費等を造補所長が握っている。観桜会等のパーティにおいて、総監と並び造補所長の発言、動向はかなり注目されているのである。したがって大湊造補所長は、ある意味では総監の懐刀として、またむつ市の経済に配慮して、総監部の業務にかかわる必要がある。

4 函館どつく
 造補所長にとって、最大の懸案事項は、函館どつくと言っても過言はない。函館どつくが果たしている、北方における海自艦船の修理基地機能が、きわめて重要であることは、誰でも認めるところである。
 しかし、北海道の名門企業としてのプライドばかり高く、中身がないのも事実である。北海道拓殖銀行が、ずさんな融資で倒産したのに伴い、同銀行がメインバンクであり、ある意味ではかなり無理な融資をお願いしていた函館どつくは、放漫経営、資金難に陥り連鎖倒産?となった。海自艦船の修理で、それなりの収入が約束されているので、不良債権の整理、人員削減等を実施すれば、大手の造船所の支援を得ることによって、艦船修理にかかわる主要な部分は、再建可能である。しかし函館どつくが、労働争議を頻発させることから、労務倒産の実態もあり、大手の造船所からの助け舟は、全くなかった。結局函館どつくは、不動産等すべてを売却清算して、再出発することになったが、材料等を発注する際の保証が全くなく、また手持ち資金もない状態だった。本来、拓銀にかわるメインバンクとなった北海道銀行が、融資保証すべきであるが、北銀の規模が小さいため、新造船のエンジン、船体材料等、高額な手形の裏書保証が、焦げ付く可能性があることから、この保証を渋っていたのである。そこで、政治的?な配慮のもと、これらの手形を、三菱商事が保証することとなっていた。もちろん契約金額の何パーセントは、保証の手数料として、三菱商事に支払われていた。このようなヨレヨレのプライドだけ高い企業を、お守りしなければならないから、大造補所長は、大変である。

5 函館どつく視察
 総監の函館どつく視察のお供をした。その時、相馬さんという、とても品の良い、年配の方を紹介された。相馬一族は、「函館の名士であり、函館どつくの経営に参画、かなりの資産を支援していた。」と聞いている。先日NHKの「日本人のお名前」という番組における、「変な名前の山」という特集で、「かって相馬藩が、函館北方を開拓すべく入植したが、うまくいかず撤退した。入植した山が、土地がやせていて生産性の向上できないのが原因で、その山を「貧乏山」と名付けた。」と放送があった。想像であるが、相馬一族のルーツかなと思う。このような大恩人を、函館どつくはあまり大事にしていないようで、このような会社は信用できず、先が思いやられるところでもあった。

6 契約
 総監部の廊下を歩いていると、赤ん坊の泣き声がする。珍しいことがあるなと見ると、赤ん坊を背負ったオバハンが、契約の前で盛んに何かを訴えていた。後で聞いてみると、オバハンは、むつ市の印刷業者の奥さんであった。「従来、名刺等の印刷で、契約金額百万円程度の印刷物を受注していたが、最近数百万円以上の大きな発注しかないため、納期が間に合わず受注できない。元の様に小規模発注して欲しい。」とのことである。要求元が、造補所資材部なので、調達について調べると、資材部は、従来と同じ百万円程度の仕様書で要求していたが、契約が、「まとめて調達することにより、契約金額の節減を図れ。」という中央の方針により、わざわざ数件の調達要求書を一本にまとめて調達していたのである。このため、八戸、青森の業者、遠くは仙台の業者が入札し、父ちゃん母ちゃん規模のむつ市業者では、入札金額、納期にまったく太刀打ちできなかったのである。同様の事象が、生糧品、文房具等でも生じていた。このままでは、むつ市の業者にとって、死活問題であり、下手したら総監がつるし上げを食らう可能性もあるので、至急対策を取る必要があった。契約と調整し、要求時期の順次調達、品目別の仕様書の作成等で、なんとかむつ市の業者でも入札できる体制とした。入札範囲について、屁のツッパリにもならないが。「半島振興法」を活用し、下北半島、野辺地までと強く要望した。

7 就職支援
 造補所長の大事な任務の一つは、大湊地区で退職する艦船乗組員等、一般隊員の就職支援である。むつ市は、海自隊員が定年退職後、故郷に帰らずそのままむつ市内に家を建て、継続して居住することが多いため、地方の市町村と違い人口が減少せず、むしろ増加していた。これに伴い、隊員の定年退職後の再就職先を確保することが、総監部援護科にとって重要な任務となっていた。かっては、六ケ所の原燃に警備員等、再就職先がたくさんあったが、原発事故等で先細りとなってしまい、主要就職先としては、むつ市の業者しかない状態であった。このむつ市の業者に対してお金を落とす調達要求元は、ほとんどが大造補所である。したがって、大造補所長は、契約先の業者等について、援護科と協力して海自隊員の再就職を推進する立場にある。
 大造補所長が会長で、援護科が事務作業等を実施している海自のイベントとして、「白鳥会」というゴルフコンペがあった。「白鳥会」は、むつ市のゴルフコンペとして、長い歴史があり、もっとも格の高いコンペとして知られていた。このコンペに参加するために、わざわざ入札業者として登録する業者もあったくらいである。
 コンペ時、会長は忙しい。挨拶は当然のこと、援護科はいつも新しい業者と回るよう組み合わせていた。そこで、いつも話題にするのが、隊員の再就職先である。意外と業者に隊員の再就職について知られていなく、最初に話題にするのが、「御社は、どのようなお仕事をしているのですか?」と尋ねる。そこで仕事内容から「海自には、いろいろな技能特技があり、御社にマッチする特技を持っている再就職者いますが、ご検討は如何でしょうか。」「判りますが、給与が高いのでしょう。」「いいえ、大体200万円程度(当時)です。よろしければ、援護を伺いさせますが。」「もっと高い給与が必要かと思っていました。これなら当社でも雇用可能です。よろしくお願いいたします。」てなことで、コンペ終了後ただちに援護科に「優秀なのを紹介しろよ。」「もちろんわかっています。」と連絡した。援護科のフォローが良かったせいか、これで2~3人再就職に成功した。
 後日、中央から業者とゴルフをすることはケシカランと、お叱りがあったが、前述の通り「白鳥会」が、海自の主催で実施して参加費を確実に徴収していること、またその意義、効果等を説明し、小生の大造補所長勤務期間は、中止することなく、続けることができた。

8 接待問題
 田名部にある料理屋で、総監と一緒に業者と会食していたことをチクられ、海幕の監察から事実かどうかの照会が来た。総監に報告すると「オイ、お前にもか、俺にも来ている。」とのことだった。当日の予定を見ると、確かにA社の営業と総監および造補所長で会食をしていた。事実であると報告すると「弁明書を出せ。」とのお達し。総監とは別に弁明書を提出することとなった。
 弁明書は、「東京方面から大湊に来られる業者は、当日帰京できなく、大湊に1泊せざるを得ない。近々に観光地があるわけでもなく、結果として田名部地区に宿泊する。田名部地区は飲食街のほか、何もない所であり、これを放っておくのはあまりにも失礼にあたるので、少しでも大湊の良さをアピールするため、先方から会食の依頼があった場合は、これに応じるようにしている。確かに、1次会2次会はお世話になっているが、3次会以降はこちら持ちで、バー等に行っている。正直なところ、業者は接待費であるが、当方はそのようなお金があるわけでなく、事実上、当方の自腹負担となっている。もちろん金額では業者の方が大きいが、自腹での負担は、決して小さいものではない。」と弁明した。
 後日、総監に報告したら、「お前もか、俺も同じように弁明した。」と大笑いされた。
 何かあるかと思ったが、特に何もなく終わった。大湊は小さな町であり、隊員等関係者の目が常にあるので、ご注意を。

9 補給業務
 造補所長になったのだから、補給業務も勉強しなければならない。補給そのものについては、需統隊を勤務したので、ある程度理解していたが、地方の現状というと、初めてのことであり、全く知識がなかった。そこで、旧補給所の施設等を周り、現状把握に努めた。
(1) 自動化倉庫
 自動化倉庫の設計が、オカシかった。倉庫の搬出入口を一段高くして、トラックの荷台に合わせて荷下ろしの負担を軽減していた。確かに物品の上げ下ろしには便利であるが、その使用頻度は極めて低い。搬出入する物品は、棚に格納することが自動化されているため、移送格納装置に順次積込み、または積降ろすことになる、このため結局、物品が多量でなければ、移送格納装置の近傍に物品を置いた方が効率的となる。大湊における1日当たりの取扱量が、そんなに多くないため、いちいち専用の搬出入口まで移動してトラック等に積込み、積降ろしするまでもなかった。おまけに、ダダ広い倉庫の一角に管制、作業区画を設けているので、冬は寒くて作業できないため、ビニールシートで区分し、石油ストーブで暖を取っていたが、天井が高く、あまり効果がない状態だった。倉庫を計画する時、民間の倉庫をモデルとして設計したが、海自、大湊用にモデファイしていなかったため、生じた不具合であった。毎年、部隊要望してもなかなか解決できない事案とのことである。
 また、作業を一時停止していたので、状況を確認したら、緊急の物品請求ががあるので、事務手続きが終わり次第、これを優先処理するため、全作業を一旦停止、待機していたのである。なんでそうなるのと原因を調べると、管制制御コンピュータに割り込み機能が全くなかったため、緊急出庫時は全ての作業を一旦停止状態にして、緊急出庫した後、改めて一から作業を開始する必要があったのである。この不具合を解消するため、割り込み機能を取入れた制御ソフト改修を、ただちに部隊要望した。
(2) 艦隊小出庫
 旧造修所地区に、赤煉瓦建屋があった。この建屋は、旧補給所の施設として使用されており、造補所がそのまま受け継いだものだった。あまりにも古すぎるので、今後の使い道について検討があった。建屋は、旧海軍の遺産であり、 大湊地区に完全な形で残っている数少ない赤煉瓦建屋であるので、取り壊しは余りにももったいないと、艦隊小出し庫として継続再活用することとした。
 艦隊小出庫は、かつて部隊に対し、きわめて厳しい管制額を設け、その使用額を制限していた。しかし時代の変化で、小出庫物品は、予算的、数量的にかなり潤沢に補給することができるようになっていたので、厳しく管制額を管理する必要性が薄れていたことから、部隊の管制額を全廃し、自由に払い出し受領できるようにした。もちろん部隊ごとの使用額は監視し、異常値が出たときは部隊に通告することとしたのは言うまでもない。
 年度末の小出庫の棚卸で、在庫と払出しの不一致があった。当時の小出庫は、バーコードで物品番号を入力していたが、物品そのものの包装等に印刷されている製品バーコードは使用せず、小出庫独自のバーコードを印刷した紙を用意し、払出時これを読み取ることでデータ入力していた。この印刷された紙を取出す際、隣の物品の紙と間違えて取出したため、不一致が生じたのである。この原因は、一つのバーコードである部品番号に一つの物品番号を、すなわち1対1の対応しか管理できなかったためであった。たとえば鉛筆の物品番号は、1つしか割り当てられていないが、三菱やトンボ等のメーカ製品は、それぞれ会社毎のバーコードを使用している。このためバーコード入力では、複数 対 1の対応で物品番号に変換しなければならなく、この処理をソフトができなかったことにある。この解決は極めて簡単、バーコードで読んだ後、エクセル等のデータベース機能を使い、単一の物品番号に変換すれば良い。しかしながら、この入力システムが中央で作成したものなので、地方で勝手にアップデートできない。そこで、バーコード読み取り装置と入力コンピュータの間にパソコンを挟み、同じ部品であれば、各社の製品に印刷されているバーコードから、1つの物品番号に変換できるようにした。これらの経緯等は、「四術校」に投稿されているので、参照されたい。
 毎年春に陸奥湾で掃海訓練があり、他の総監部の掃海艇が多数大湊に入港する。これらの掃海艇にも、小出庫をフリーで開放したところ、評判は上々であった。
(3) 非活動物品
 舞鶴造修所艦船部長時代、補給所の非活動物品について、廃棄等の処分を審議する審査会?(名前は忘れた。)に出席していたので、艦船部所掌の実状は、ある程度わかっていた。地方で処理できるものは、すぐ決定できるが、補本統制物品、海幕統制物品については、なかなか処分決定が出ず、倉庫における占有面積が馬鹿にならなかった。特に海幕統制物品の処分は、なかなかできなかった。しかしながら、これは海幕だけが悪いのではなく、地方も当該物品の使用履歴、保存状態等、処分に必要な現状データを処分申請に添付していないため、海幕の担当者が処分を指示できるだけの根拠がないことでにある。もちろん海幕担当者自ら調べればよい事であるが、忙しい海幕では実行不能が現状だった。
 武器の審査会に出席して驚いた。どう見ても今後使用しない、使用できないであろう、砲等の大型装備品が処分されず、オマケに野ざらしで保管されていたのである。これでは再使用しようとも、保管状態が劣悪のため劣化、損傷がひどく、不可能とならざるを得ない。実状を調べると、やはり武器部からの申請書が前続艦続行で作成されていたため、保管当初の状況そのままであり、現状からかけ離れていたことだった。申請書の内容を、現状に合わせた結果、海幕から短期間に処分指示を得ることができ、野ざらし物品をかなり処分することができた。
 年度末、艦船修理に従事しているK社から、仕事が空いているとの話があり、丁度予算に余裕があったので、野ざらし保管せざるを得ない大型装備品の、処分指示が出るまでの一時保管場所として、簡易テント倉庫の検討を副所長に依頼した。地面に固定すると国有財産登録をしなければならなく、総監部施設課所掌となるので、建屋のような固定建築物ではなく、レールで移動可能なテント倉庫としたのである。年度末になかなか出来栄えで完成した。
(続く)
元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
Ⅴ 大湊造修補給所長兼大湊地方総監部技術補給監理官