大 湊 雑 感

元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
Ⅲ 技術研究本部技術開発官(船舶担当)付主任設計官(護衛艦)
 技本主設へ
 平成6年4月主任設計官に転出した。船体マークにとって、艦船建造の責任者である海幕船体班長、艦船設計の主務である技本主任設計官は、あこがれの配置であろう。したがって、ルンルンで着任したのは言うまでもない。工作部長離任に際し、「また戻ってくるからな。」と言ったところ、ほとんどの部員は、「えー。」という反応だった。「もう勘弁して。」との感じであったのであろうか?。
 改「むらさめ」型護衛艦を設計する予定だったが、予算要求がお流れとなった。このため、開店休業状態となり、小障子技官とのぎ装に関する漫才等、海自勤務生活で、最ものんびりした勤務であった。ただ、阪神淡路大震災、オウム地下鉄サリン事件があったことを、記憶している。
Ⅳ 需給統制隊業務第1部長
1 需統業務1部長へ
 3年の長きにわたって、余りにものんびりと勤務したことに対する懲罰人事か、船体マークの者にとって、晴天の霹靂である需統隊勤務となった。もちろん、候校で補給の授業はあったが、全く覚えておらず機関屋が「部品管理に必要なため、やってるな。」ぐらいの認識であった。当時、司令は猛烈で有名な、砂川海将である。

2 所要量算定
 着任した当初、毎朝のオペレーションで補給屋が怒られているのを見て、「なんで怒られているか。」まったく解からなかった。
 補給4科長が、ある部品の所要量について、「年間12個所要なので、毎月1個ずつ調達します。」と説明していた。砂川司令は、烈火のごとく怒っていたが、補給屋さんは、何も反応してなかった。小生は、「アレッ、チョット変じゃないか、4月に2個壊れたらどうすんの」と思ったが、何が何やら、よく解らなかった。そこで、慌てて確率と統計の本を何十年ぶりに取り出し、にわか勉強となった。解ったことは、「年間所要数に対し、発生確率85パーセントをカバーする1か月の必要数を4月に調達する必要がある。」(ちょっとアヤフヤ)だろうことだった。マー、1か月に1個づつきれいに故障する訳がなく、1か月に2,3個故障する月もあれば、全く0個の月もあることは、直感的にわかることである。したがって年度当初の4月には、3個ぐらい在庫していなければならないにも拘らず、1個しか在庫していない。これでは、年度始めの故障に対し、いつもピーピー在庫がないと言っていて、年度末に帳尻を合わせていることになる。これを、司令は怒っていたのだが、理解できない輩がほとんどだった。
 また年間所要量は、5年間?の年間払出数の平均を算定の基礎としていた。確かに母集団が100機もあるP-3Cや40機のSH-60Jなら、かなり正確に適用できるが、母集団が10にも満たない艦船にそのまま適用するのは、かなりの注意が必要と思われた。
 補給が使っている米軍の算定表の根拠が不明なので、エンヤコラ解らないなり再計算すると、母集団数と故障率を基礎とした、単なる正規分布に基づく予備品数の表だった。同じ検討をしたのが、技術1科の総括班長をしていた赤井3佐である。彼は、大学の数学科出身で電気屋だった。餅は餅屋の例え通り、小生が1週間かかってウガウガ検討したことを、わずか1日もかからずに終了、数学の解析能力の差は如実であった。補給は、手続き論ばかり重視されているが、本来、科学的な解析に基づくものと実感した。補給屋では文系ばかり幅を利かせているが、もっと解析屋も大事にしなければならないと。
 また、故障発生確率の異常値に対するアラームが全くない。例えば、年間10個所要の部品が、短期間に4個ぐらい故障すれば、何かおかしいと考え、いくら在庫があって補給がスムーズにいっても、故障原因の調査を行うのが常識である。しかし、アラームが鳴るのは、在庫切れになってからである。すなわち製造ロットの不具合等による、スポット発生的な故障等には、全く対応できないことになる。艦船では、部隊の主要部品の請求には、造修所の印が必要であるので、造修所担当官がある程度アラーム的な役割を果たしている。しかし航空機整備では、部品請求が技術的な検証なしに、補給システムだけで運用されているので、アラーム機能はなく、「気がついたら在庫なし。」という事象が見受けられるようであった。

3 LCAC予備品調達
 LCAC予備品の初回調達において、いつものとおり予算不足なので、調達順位をもって基本方針を作らなければならない。予備品が、非活動物品になることを恐れて、消耗品的な予備品を調達する傾向もあったが、前述の会計検査に対する予備品廃棄の説明の成功体験?もあって、あえて「ないと稼働できなく、調達期間が長いものを優先する。」という方針とし、技術1科でリストアップ、調達を開始した。ところが、司令の決裁を担当する管理部が、「こんな、所要量に対する根拠が薄弱なリストでは、決裁をお願いできない。」と言い始めた。業を煮やした業務1部長は。「俺が、決裁を取ってくる。」と司令室へ。「リストの根拠は何か。」、「勘と経験で作成しました。」、母集団たった4個で、実績もない装備品の予備品に、数学的、論理的な根拠などあるわけがない。このことを解っている司令は、チョット間をおいた後、すぐ決裁してくれた。管理部は、驚いたようだが「気合よ気合」と毒気に当てられ、何も言えず。
 後日、LCACが北海道の浜大樹で演習中、大事故を起こし、主要な部品を損傷してしまった時、この予備品が役立ったと聞いている。

4 需統隊改組
 次年度12月に需統隊を廃止し、補給の効率化を図るため、補給本部と艦船補給処と航空補給処に組織替えをすることとなっていた。これまで、需統隊が管制していた物品の内、新編される補給処に管制権限を移譲する物品をリストアップし、移管しなければならない。したがって、移管する物品について、どのような方針のもと移管リストを作成するかが問題となる。部長は、「艦船補給処を良い子にするのか。はたまたゴミ捨て場にするのか。良い子にするのが筋だろう。」と方針を立てた。すなわち、当時業務1部は、8万件程度の物品を管制していたが、まともに管制できていたのは、ガスタービン等、氏素性が良く、補給データが整っている物品の3万件弱で、残りはバックオーダーが立ったところで調達するという、補給と言うより、パッチあて作業的なことしかできてなかった。この原因はいろいろあるが、大きなことは時間的、人的の慢性的不足で、当該物品の補給基礎データが正確ではないことにあった。
 部長は、新編されたばかりの部隊に、直ぐこのようなパチあて作業をさせ、補給本部が良い顔するような、いわばゴミ捨て場扱いは拙いと、「艦船補給処は、良い子に育てる。したがって当初は、氏素性の良い物品約3万件をまず移管し、補給基礎データが不十分な物品は、そのまま補給本部の管制として残した後、補給基礎データが正確になった時点で移管する。」という方針をたて、技術1科でリスト作成を始めた。
 この方針にあまり良い顔をしなかったのが、澤本司令や企画室をはじめとする補給屋さんである。他部は、どのような方針だったかは知らないが、味噌も糞も含めて、管制している物品の大多数を移管していた。このため、「業務1部は、艦船補給処に管制権を移管することについて、積極的ではない。」という否定的な評価がなされていたようである。
 また、他部は移管作業について、「なんとかの手法を適用して実施します。」とオペレーションで自己PRをしていた。業務1部は、「でっかい模造紙に、各班等の実施項目を線表にし、誰でも進行が分かるように張り出します。」と古典的手法を取った。海自でよくあること、管理者は理解しているが、実務担当者がよく解ってないため、事業が頓挫または遅れる事例が多いことから、あえて古典的手法を取ったのである。後日、改組時ヨーイドンで、新しい補給システムが、まともに物品移管でき、補本と艦補処の管制が稼働したのは、艦船部(旧業務1部)のみだったと聞いている。

5 電子基板予備品
 業務1部において、長期間バックオーダーが立っているのに、調達の目途が全く立たない部品の大半が、電子基板の予備品であり、100件程度あった。原因は、電子部品の製造中止である。誰でも、性能アップした代替品で作ればと思うが、そこには電気屋の掟があり、「完全に同じもの以外は、改めて衝撃試験を実施し、パスしなければならない。」とされている。「メーカの都合による変更ということで、この衝撃試験の多大な費用を部品代に、上乗せ計上できないため、調達できずにいる。」との分かったような分からないような理由であった。これではいつまで経っても解決できないと危惧した部長は、技術1科総括班長である電気マークの赤井3佐に相談する。「俺は門外漢なのでよく分からないが、製造中止物品に対し、「例えば基板材料をガラスエポキシの高級材料に変更するとか、部品そのものが、他艦等で実績がある高級材料で作成した場合、衝撃試験を免除できる。」とかいう新ルールを作り、製造中止部品に適用できないのか。この無茶ぶりに、簡単に是正できるわけではないが、後日、赤井3佐は、補給本部で昇任後、海幕電気班長を務め、この問題に取り組んで解決してくれたと聞いている。無茶ぶりが、すこしでも役に立っていたならば、うれしい限りである。

6 補給システム
需統隊が補給本部と艦船補給処および航空補給処に改組されるので、それまで補給管制を実施していた需統隊補給システムが、補給本部と各補給処がそれぞれ管制する補給システムに、刷新されることとなる。この新しいシステムを受注したのが、これまでのシステムを作成、お守りをしていた富士通なのは、当然であろう。富士通は、技術1科で実施している現業を解析して、コンピューターに移植しようとしていた。この解析手法に特に問題ないが、富士通の業務1部担当者が、順次処理の手法をもって解析をしており、当時主流となっている分散処理システムと異なっているようだった。まさにCOBOL的な解析であったので、部長がチョット気になり、この担当者の経歴を尋ねると、どうやら大学の文系出身であった。当時、コンピューターの能力向上により、システムに使用されるコンピューター言語が、銀行など事務処理に適していたCOBOLから、データ処理に適した分散処理システムに有利なC言語等に変わっていた。そして、事務処理に有利な文系主体のCOBOLプログラマーを、Cプラス等に転換させることが急務であった。しかしながら分散処理システムは、どちらかというと、理工系の知識を必要としたため、簡単にはできないことが知られていた。
 艦船システム案に、補給のへそである部品の基本データを入力するのに、担当だけで実施し、班長、科長がチェックする処理機能が全くなかった。すなわち、このシステムにおいて、データ等の処理に上司の決裁を全く必要とされず、次の処理作業に順次移管されていたのである。これでは、間違ったデータが入力されても、何らチェックされず、そのまま補給管制が実施されることになり、問題が発生した場合の責任が、担当者にすべて負わせることになりかねないので、組織上きわめて拙いことになる。
 部長は、富士通の担当者に対し、決裁システムの導入を強く要求した。しかし富士通は、決裁システムの必要性を全く認めず、むしろ否定的だった。業を煮やした部長は、「データ入力に決裁システムがなければ、業務1部として受領しない。」と通告したのである。
 よくあること、富士通からシステムを丸投げしていた補給サイドにチクリがあったようで、艦船補給処への物品管制移管の件も合わせ、「小生が改組に否定的であり、足を引っ張っている。」と司令にご注進となり、結果として部長の転勤となったのである。行先は、大湊である。本来は、12月の改組に合わせ、大湊造修補給所長に転出する予定であったが、取敢えず首のすげ替えをするため、大湊防衛部付という訳のわからない配置となり、造補所長待機となった。
 本人は、落ち込むどころか大満足で、12月まで取り立てての仕事がないことから、これで心行くまで渓流釣り、ゴルフを楽しめると喜んでいたのである。
 後日聞いたところによると、某部でテータ入力の間違いがあり、スッタモンダしたようである。艦船部は小嶋艦船技術科長(旧技術1科長)がしっかりと「補給基礎データの入力に、当該班長のチェックを必要とする。」システムとしていたため、何ら問題にならなかったと聞いている。
(続く)