大 湊 雑 感

元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
20 油圧盤木
 年度末、海幕保船から「国債に余裕があるから、何か必要なものがあれば調達します。」と有難いような有難くないような話が来た。検討する時間もないので、仕様の決まっている一般民需品しか間に合わない。そこで、IHIがドックで使用していた自動油圧盤木のことを思い出した。油圧盤木は、船底にフラットな部分がほとんどない護衛艦には、やや不向きである、しかし、船体中央部分に使用できる範囲があること、および当時大湊在籍の揚陸艦である「ねむろ」が使用可能であることから、取り合えず4セットを購入し、使用実績を見ることとした。
 油圧盤木の採用については、賛否両論があったが、納入された4セットは特に問題なく、船体中央部の腹盤木として使用した。しかし後日、国債で同様の余裕があった時、油圧盤木を、かなりの数追加導入されたようである。使用実績は如何に?

21 PGの回航
 年度末、無事PGが完工、引き渡しを受け、浦賀を出航、大湊に寄港してご挨拶、お披露目をした後、余市に回航することとなった。しかし、北国はまだまだ冬の名残もあって、海は平穏ではないので、このような時に回航するのは大丈夫かと、危惧する向きも多かった。しかしながら、PGは宿泊、厨房、通信設備等が貧弱なため、単に港に係留しているだけでも、陸上の整備隊の支援を必要とするので、横須賀に長く留まることができない。このため、回航を決意したようである。整備隊が浦賀に出向き、PGの海上航走に合わせ、車両で陸上を並走して故障等に備え、各種の支援を行っていた。
 危惧していた通り、大湊までの回航日は、少々海が荒れていた。通常の艦船なら、心配しなくて良い程度であるが、PGには厳しいものとなった。前部スタンションの折損、照明灯破損等の波浪による損傷が、整備隊経由で大湊まで連絡、報告があった。整備隊長は、船体マークのベテランである須賀2佐が務めていたので、報告は的確であり、信頼できるものだったことから、修理材料等、準備に万全を期すことができた。入港した翌日に、民間を含め各部にお披露目という予定なので、入港次第ただちに修理する必要がある。このため、工作部の当該修理要員を待機させ、夜遅くであったが、任務を無事完遂した。ここら辺の詳しい経緯は、「波濤」にPG乗組員が投稿しているので、割愛する。
 船体班担当時代、PGにハイドロフォイル型を採用することについて、その航洋性能から強く反対していた人間が、一番最初に修理を実施し、整備体制を整えることとなったのは、まさに皮肉そのものである。しかも、このPGにより、工作部の生き残りを図ろろとしているのだから。

22 PGの入渠
 PGの中間修理施工のため、入渠させることになった。陸揚げ用クレーン、移動台車、格納庫は、次年度に整備される予定のため、設置予定地はまだ全くの更地であった。このため、入渠して水中翼等の検査、修理を実施する計画になっていたのである。PGの新造時に使用した架台を、移動整備台車に移設装備する予定であったが、台車がないので、分解、送付された架台を、渠底で組み立てて、入渠させるのである。架台を組み立てたところ、内部応力が開放されたことから、微妙に変形しているので、この修正が大変だった。この架台がPGの船型に完全にフィットしているため、護衛艦等を盤木に据付けるのに比べ、据付誤差が極めて小さい事が、入渠作業を更に困難にしているのである。据付誤差が大きいと、アルミ製の船底は、簡単に凹損する。陸揚げ用クレーンでの据付は、吊上げ位置を細かく修正できるので特に問題はないが、入渠は、そこまでの細かな位置制御が困難であることから、細心の注意が必要だった。さらに、PG船殻がアルミ薄板なので、入渠作業におけるワイヤーロープは、船体に傷をつける恐れがあるため使用できず、化繊索を使用しなければならない。しかしこの化繊索が問題で、ワイヤロープより伸縮率が大きいため、風圧変動による左右の据付位置のブレが大きく、作業がより困難になると予想されていた。当日の風が弱いことを祈るばかりである。
 入渠日は風が強く、予想通り?作業は困難を極めた。化繊索の伸びに加え、水中翼を上方に畳んだPGは、正に帆掛船となって、入渠予定位置を全く保持できなく、振回るばかりである。ドック作業員は悪戦苦闘、じりじり胃が痛くなるような時間が過ぎていく。唯一の希望は、排水が進みPGが渠底に近づいた時、渠壁に風が遮られ、ブレが小さくなることであった。ただし、横方向の支持化繊索の長さが大きくなるので、伸縮によるブレも大きくなる。また据付架台は、PG据付時に水中翼を降ろして整備できるようにしているため、渠底からの高さが意外と大きく、風の渠壁遮蔽効果も期待ほどではなかった。しかも2隻同時の、相入渠である。入渠作業を仕切っている丹羽ドック係長は、大変だった。丹羽ドック係長は、ごつい指をしていてとても細かい作業には不向きと見えるが、実際は工作部で一番器用であり、船具の細かい作業は、ナンバー1の技能であった。その風貌等は、造船所の職長とまったく同じ職人魂そのものであり、豪胆で繊細な気質は、工作部員一同から尊敬されていた。その男が、PGが架台に着底し、ダイバーから異常なしの報告を受けた時、小生の横でフーッと大きな息をついたのが、今でも耳に残っている。ドック科をはじめとする工作部員に、かなりの精神的負担をかけたことを、申し訳なく思う次第である。
 入渠が完了したところで、大活躍したのが高所作業車である。ドック内の諸作業用として、高所作業車を装備することは、長年にわたる部隊要望であったが、なかなか認められなかった。ところが、PGの整備に必要不可欠であること、更にPGの陸揚げ施設の整備が間に合わなく入渠させることになったため、早急に必要な装備品として、前倒し予算化してくれた。地方調達だったので、いろいろな高所作業車を比較し、最も安全で、台車に数人が乗って作業できる、やや大型の高所作業車を調達した。工程上、水中翼3つの整備を同時に行うのであるから、この1台では足りず、民間業者からレンタルした。それぞれの翼整備担当班編成は、非常にうまく機能し、またガスタービン等の点検も無事完了、予定通りの工程で中間修理を施工完了することができた。PG整備プロジェクトが、十分満足できる水準にあり、しっかり機能したのである。これは、工務科長を筆頭としたPG整備に対する綿密な準備作業および工作部員の責任感の賜物であり、この実績から、以後のPGの整備について、工作部主体で施工できることを確信した。

23 可搬式消火海水ポンプの検討
 海幕勤務中にフォークランド紛争が起こり、その戦訓として可搬式消火海水ポンプの重要性が挙げられた。英国駆逐艦が、ミサイル等による損傷時に動力がすべて停止したため、最後の砦として可搬式消火海水ポンプが使用され、その能力を十分発揮した。しかし、燃料の手持ちガソリンが直ぐ尽きてしまい、消火活動の継続に困難を極めた。他艦からヘリコプター等で補給したが、作戦行動が優先され、円滑な補給は難しかった。ひるがえって、海上自衛隊においては如何に? 船体後部にガソリンタンクを搭載しているが、合戦準備で海中投棄されることになっている。すなわち、戦闘被害時には、補給するガソリンが、自艦に全く存在していないことになる。この矛盾を解決するためには、主機の燃料である軽油で運転できるポンプを装備すれば良い。したがって、だれでも思いつくのが、ディーゼルエンジン駆動のポンプである。しかし、ディーゼルエンジンは、馬力当たりの重量が大きいため、必要馬力を確保した可搬式にすると100Kg以上?になり、4人で運搬するには余りにも重くなってしまう。過去海自において、米海軍が使用していたガスタービンポンプを採用していたが、重量が大きいため4人で運搬することは厳しく(体格差?)、また起動時、回転数を上げるのに多大な労力と時間を要したため、採用中止となった。
 さらにディーゼルエンジンは、低温時の起動が難しく、信頼性が低くなる。そこで、ガソリンエンジンを軽油で駆動しようと。三井造船が研究を始めた。
 小生が大湊に転出した後、ディーゼルエンジンメーカからオファーがあったのか、海幕でディーゼルエンジン採用の検討が始まった。そこで工作部長は、低温時の起動性能を確認するため、大湊の冬に実物をもって、性能試験を実施することを提案し、実施することになった。実物を受け取り、内燃機関運転場近くに外気温設置し。毎朝起動することとした。設置して2日目に、危惧した通り低温のため全く起動できない事象が発生した。ただちに海幕に報告、ディーゼルエンジンの採用は中止されたのである。その後、三井造船のポンプが採用されている。また、米海軍も同じ考えのようで、軽油エンジンを採用したと聞いている。現在は如何に?(本来は、ロータリーエンジンで検討したかったが、バイク用小型ロータリーエンジンの製造が中止されていたため、断念した。)

24 可搬式消火海水ポンプの整備
 工作部主要工事であった、掃海艇主機のZC、魚雷艇主機の24WZ の整備が終了し、内燃係の作業が激減した。このままでは、工作部の内燃機関に対する技術が低下するとともに、整備保有工数を消化できない。機関屋ではない工作部長が発想したのは、「機関の大小にかかわらず、内燃機関の原理は同じであり、同等の技能は必要だ。」ということである。また「部隊から工作部の必要性をアピールしてもらうためには、部隊に対するサービスが重要である。」という単細胞的考えを持ち、ポンプのローテーション整備を企画したのである。可搬式海水ポンプは、使用時数よりも整備間隔の時間点検が先に来るのが一般的である。そこで部隊が使用しているポンプが、オーバーホールの時間になった時、当該ポンプを補給所に返納し、工作部でオーバーホール施工済みのポンプを受領するシステムを採用した。工作部の仕上科は、当初「こんなゴミみたいなエンジンを、いやいやながら、しょうがなく実施する。」という感じであったが、部隊の評判があまりにも良く、感謝してくれたので、以後は文句も言わず実施してくれた。

25 PGの施設等
 陸揚げクレーン、整備用格納庫、台車等の設備が、1年遅れの来年度に完成する予定であることは、前に述べたとおりで、これらの設備の仕様の細部を、大湊で検討することになった。
(1) 陸揚用75トンクレーン
 固定式のクレーンで、アウトリーチも十分あり、大きな問題はなかった。ただ一つだけ問題だったのは、昼夜間でオンオフしなければならない航空障害灯等の灯火管制を、操縦室で行うようになっていた。操縦室は、地上10メートルを超える高さにあり、昇降は屋根なし、風雨に曝されるままの梯子階段を昇降する計画であった。冬季、吹雪の中での昇降は、あまりにも危険すぎるので、地表面の管制箱で遠隔管制できるように要望、変更した。
(2) PG移動台車
 PGをクレーンで吊り上げた後、移動台車に着座させて、格納庫まで移動し、屋内整備する計画だった。この台車が問題である。当初の計画では、大型の重量物であるPGの台車として、造船所におけるブロックの移動台車を改造することとしていた。このブロック台車は、タイヤを正確な数は忘れたが、数10個以上装備している各タイヤの向きを一斉に変えて、前後左右自由自在に移動できるため、機動性に優れており、また位置決めも正確そのものであった。しかし、冬季アイスバーンでは? 全タイヤを冬用タイヤに交換するのは、マンパワー的に大きな負担となる。また、アイスバーンにおける操縦性の実績がなく、不安視された。そこで、六ヶ所村の原燃で使用しているクレーンを調べたところ、暗渠に入れたレール方式で、冬季は暗渠に蓋をして、レールの積雪、凍結を防止していることが判った。これを基本として、台車にも暗渠レール方式を採用した。
 また、入渠時の使用実績から、PG着座後、台車に装備されている固定足場を、PGを囲むようにスライド移動させることによって、支持脚部の整備用足場を確保し、3脚同時に整備できるよう配慮した。これにより高所作業車の使用を、最小限で済むようにした。
(3) PG格納庫
 格納庫の床面積等は、十分余裕をもっていたので、大きな問題はなかった。むしろこのような立派な建屋を、PG除籍後、どう活用するかが、問題であった。
(ねぶた小屋には最適だった。)
26 ガスタービン整備科
 魚雷艇の主機であるIM300の整備を、ガスタービン整備科で実施していた。機関のことはよくわからないが、製造メーカであるIHIからもその整備能力の高さが認められる程の実力を持ち、また大湊工作部の看板整備技術でもあった。
 しかしながら、PGの主機であるLM500は、IM300と整備方式が全く違うことから、工作部の整備技術をほとんど必要とされていなかった。このままでは、「売りであるガスタービン整備科が、廃止されてしまう。」と危惧したが、如何にせん専門外のこと、有効な対策を取れるわけもなく、後任者負担とするほかなかった。誠に申し訳なし。
(続く)
Ⅱ 大湊造修所工作部長