大 湊 雑 感

元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
14 職長職の新設
 総監部において、先任海曹制度が創設され、従来幹部自衛官で実施されている会議等に、海曹の代表として参加し、海曹の意見を吸い上げるとともに、海曹の魅力化に取り組んでいた。
 行㈡職は、かっては科長職にもついていたが、今は科長職すべて行㈠配置となり、行㈡は係長までであった。したがって、工作部内の科長会議に、行㈡は全く参加してなく、工作部のおかれている立場、現在の状況等を、直接知ることはできなく、科長を通じての間接的にしかできなかった。これは拙く、先任海曹と同等とする必要があると考え、所長、人事と調整し、手当は全くないが、行㈡のプライド職として、職長職を創設し、先任係長を指名して科長会議に出席できるようにした。もちろん職長には、行㈡職の取りまとめ、風通しを期待した。

15 PG研修
 工作部員に、PG整備の重要性を説明しても、なかなか理解が得られない。丁度そのころ、艦船建造旅費の目的外使用について、会計検査が厳しく調査していた。このため海幕において、使用を厳格に管理したため、予算的にかなりの余裕があった。これに目を付けた工作部長は、「PGの調査使用なら問題あるメー。」と数百万円を有難く頂く。「工作部が、建造旅費をこんなに使うのは問題になる。また、行㈡が使うのもヤバくないか。」という声も聞かれたが、「建造旅費の使用目的に十分合致していて、何もやましいところはない。カラ出張でもするのなら問題だが、実際すべてPGの建造造船所である住友浦賀に出張する。また行㈠限定などどこにも書いてない。」とどこ吹く風であった。結論を言えば、会計検査に「カラ出張は、ないですよね。」と聞かれ、「ハイこの通り、すべてPGで浦賀に行っております。」で全くお咎めなしであった。
 行㈡の出張予定者は、いつもは入校講習旅費のケチケチ出張だったので、足が出ることから当初は辞退したり、行くのをためらう者がいたが、泊付きの旅費をもらったことから、「こんなに旅費が貰えるなら、俺も行きたい。」と希望者が続出し、工務科長が大変だった。
 工作部長が着任してすぐ、帆布用ミシンが更新される予定となっていた。大湊には帆布加工業者がなく、工作部が独占企業であった。そこで横須賀等の経験から、工作部長は高周波ミシンを推薦したが、帆布担当は「今までどおりが良い。」と糸縫製ミシンを希望し、調達したのである。工作部長は、仕掛ける。担当が、浦賀出張する際、横須賀勤務時代、大変お世話になった森野帆布の二見さんにお願いして、横浜の工場見学をさせたのである。これは効き過ぎた。帰ってくるなり「あのミシンが欲しい。」と言い出したのである。しかし、「時はすでに遅し、次の更新時にしろ。」でおしまい。このように、大湊工作部員は、技能に優れているが、情報に疎く、いわば「井の中の蛙」状態であることに留意しなければならない。
 浦賀出張で目覚めた?のか、工作部内でもPG整備について、「事の大きさ、難しさ、そして責任の重さ。」を自覚してきたようであった。

16 PG整備体制
 服装、安全に関する装備の充実、浦賀研修等で、工作部内にPG整備の重要性が認識され、「自分たちが、PG整備の第一線に立つ。」という機運が高まってきた。また、住友浦賀からの情報、研修を通じて、整備の内容等、準備が整ってきた。
 整備に、最も工数を必要とする工事は、水中翼における前翼及び後部の左右翼および同支持脚、計3つの脚部の分解、検査、組み立てであることが解ったのである。水中翼の支持脚には、波等の抵抗を減らすため、流線型のフェアリングが取り付けられている、これが曲者で、各支持脚に固定するため、かなり多数(具体的数は忘れた。)の皿ビスが使用されており、陸揚げ整備する時は、このビスを全数取り外して、内部の水中翼フラップ駆動部等を検査したのち、復旧する必要があった。。このビスは、「航走中に外れないよう固く取り付け、整備においては容易に取り外せる。」という相反する性能が要求されていた。したがって、このビスの取外、組立工事に、高度の技能は必要ないが、丁寧に実施する必要があり、これに予想以上に工数が必要だったのである。ビスのゆるみ止めに、スリーボンドの何番を使えば良いか、工作部内で議論が沸騰したことも思い出される。この工数が膨大なことから、艦船部において、工作部が主体的に整備することに当初は懐疑的であったが(外注のほうが信頼できる?予算不足?)、工作部施工を認めざるを得なかった。
 工作部内において、このような工事を担当するのは仕上科となるが、手持ち工数が全く足りない。したがって、ここは各科ガラガラポンのオール工作部で、各水中翼脚の担当班を編成し、それぞれの班長に係長を充当、各班に整備に必要な人数を配員することとした。その他、ガスタービン主機の検査班、電気班等を編成し、工作部PG整備プロジェクトが発足したのである。

17 ドック排水ポンプの換装
 排水ポンプの換装が、工作部の部隊要望とされていた。しかし要望理由がイマイチだったので、これでは実現は困難と思い、なぜこの様な表現になっているのかを調べたところ、ポンプ制御室が戦時防空のため?地下深くに設置されており、垂直に掘られた機器搬出入孔の大きさが、ポンプ、弁類の搬出入は可能だが、新しい配電盤完成品の搬入が不可能であり、分解して搬入後、内部で組み立てることから、換装費用が過大過ぎるとのことであった。このため、排水仕切弁の新替は施工されていたが、本来一番重要であり、かつ経年劣化が生じやすい配電盤の新替ができないため、排水ポンプ換装の部隊要望が、イマイチ引いた表現になっていた。しかしながら、配電盤を地下に設置する必要性が、極めて低いと思われることから、制御室を地上に移設して、そこに配電盤を配置すれば、換装費用を低減することができる。
 この部隊要望は後日、排水ポンプ、配電盤等すべての機器、弁類およびポンプ3台中予備なしの2台は、無事新替された。また、配電盤は、技術の進歩で小型化されたのか、地上に移設されることなく、従来とおり地下に配置された。

18 ガイドレール
 護衛艦「しらゆき」の入渠時、北西の季節風が強く、作業は困難を極めたが、ドックマスターの巧みな曵船指揮により、なんとかドック内に押し込むことができ、やれやれというところに、突風とも言える強風が吹いた。当時の入渠作業は、「ドック前で艦の左右支持索をドック両側に設置されているガイドロープの滑車につないで、左右の変位を固定し、曵船よって艦をドック内に押し込み、引き出す。」方式であった。このガイドロープは、かなり太いワイヤーロープ(径は忘れた。)を使用していたが、この強風により、風圧側面積が大きい「しらゆき」が、長さ200メートルを超える長さのワイヤロープに、かなり大きい横向きの力を加えたのであるから、当然のこと、ロープの伸びによる横方向の変位が非常に大きくなり、艦がドック側壁に接触する一歩手前まで、吹き寄せられたのである。なんとかギリギリのところで回避することができ、一時青い顔をした入渠作業員一同、やれやれホッとしたところである。原因は、もちろん強風であるが、かってドック西側は森がうっそうと茂っており、防風林としての機能があったが、防火訓練場を新設するため、森を伐採したことから防風効果がなくなり、より強風が吹き抜けるようになっていたのである。今後護衛艦は、より大型化されるので、このままでは将来、出入渠作業における大きな阻害、危険要因となるのは、必至である。さらには、護衛艦等の年次検査が、年度末に実施されることが多いため、まだまだ北西の季節風が強い時期であることも、配慮する必要があった。
 これを解決するためには、民間造船所と同じように、ガイドロープを左右方向の変位がないガイドレールに換装すれば良い。問題は、その費用である。一応、函館どつくに簡易的な見積をしてもらうと、「民間ドックと同じようにドック側壁に設置すると、補強工事等で約1億円以上の予算が必要である。しかし、ドック作業に少し邪魔にはなるが、ドック横の係留ビットに抱かせた形で設置すれば、大きな地盤補強工事が不要なので、数千万円でできる。」ことが判った。
 王道を取れば、部隊要望を行い、海幕が予算要求、予算成立と進むわけであるが、当時大湊ドックの近代化について、海幕はあまり関心がない状態だったので、まともに部隊要望を行っても、いつ実施されるか判らない。しかし、「しらゆき」の入渠作業の実績から、「事は急を要する。」のは明々白々である。
 大湊造修所の任務として、掃海艇の簡易磁気測定が行われていた。丁度、次年度に簡易磁気測定が予定されており、作業費用として、武器修理費が工作部に配布されていた。これに目をつけ、何とか増額できないかを工務科長が武器部と調整した結果は上々、武器修理費の国債に余裕があったので、三千万円(記憶?)を工作部に付け替えてくれた。早速、函館どつくと施工について調整し、値切り倒すが、「ガイドレールの設置費用はなんとか賄えるが、滑車の装備費用が足りない。」であった。ここで工作部長の出番である。艦船部長に、次年度の歳出数百万円をお願い、分捕ってきた。費用の目途がたち、無事施工、次年度に滑車を取り付け、ガイドレールは無事完成し、稼働状態となった。当時、曵船で艦船の押し入れ、引き出しを実施しているのを、将来はガイドレールの滑車を、陸上に設置した曳航ウィンチで移動できるように、配慮したのは当然である。すぐさま曳航ウィンチの新設を、部隊要望したのは言うまでもない。曳航ウィンチは、数年後に予算化、施工され、名実とも民間造船所並みの設備となった。
 また、武器修理費使用の名目を立てるため、掃海艇の簡易磁気測定をドック内で実施し、実績を作って、会計検査に備えたが、拍子抜けするくらい、全く調査対象にならなかったのは、幸運だった。またオマケであるが、ドック内の簡易磁気測定の精度がかなり良く、十分満足できるレベルであったと記憶している。

19 会計検査
 会計検査時、総監部管理部長から「工作部長、調査員の息抜きに馬鹿話でもして、お相手してくれませんか。」という、あまり名誉ではない依頼があった。
 工作部長は、需統隊勤務時、調査員から「艦船の新造時に購入している高額な予備品を使用せず、除籍時に廃棄するのは、国損ではないか。」と、チョット痛い指摘を受けた。「私のルーツは、栃木県にあります。ここでは、70,80歳で死んだ場合、「良く生きた。めでたいことだ。」と、赤飯を炊いて祝う風習があります。これと同じで、この予備品を使わずに済んだということは、本艦が故障、事故もなく、よく働いた証しであり、赤飯をもって予備品を廃棄すべきものであります。」と、指摘に正面から向き合うではなく、判かったような判からないような屁理屈?を堂々と述べ、調査員から「あなたとこれ以上話をしても無駄のようだ。もう結構です。」と煙にまいた事があり、これを知っている者が、馬鹿話なら工作部長と管理部長に進言したようである。
 ともあれ、調査員と雑談するうちに、趣味としていた渓流釣りに話が飛んだ。「下北の渓流は、流程が短いため海のすぐ近くでイワナが釣れる。初心者でも釣れるので、暇なときにどうですか。」という話に食いついた。「是非やりたい。」、「ならば、課業時間中に行うのは拙いので、朝早く宿までお迎えし、朝食前にお届けするのは如何でしょうか。」と朝3時にお迎え、7時にお届けで、宝金企画室長等の協力を得て実行した。調査員は数匹のイワナを釣り、大変ご満足であった。釣ったイワナは、調理員にお願いし、塩焼きにして昼食に用意した。その日の会見検査は如何に? 管理部から「調査員が、あくびばかりして調査が全くはかどりません。」と大笑いして、ご連絡です。
 これに味を占めた管理部長から、会計検査終了後、「来年もまた同じように実施をお願いします。」と。
(続く)
Ⅱ 大湊造修所工作部長