大 湊 雑 感

元大湊造修補給所長 安 生 正 明
目次
Ⅱ 大湊造修所工作部長
1 段取り
 平成3年末、海幕艦船課船体班長として関与した、自衛隊にとって初めての海外派遣であるペルシャ湾掃海艇派遣が、ナンヤカヤあっても無事終了し、予備品の処理や献身的にバックアップして頂いた造船所や装備品メーカーへのお礼状発送等の後始末もすべて完了した。尤も一番大変だったのは、船体班で掃海艇の担当だった小林技官をはじめとする船体班班員諸官だったのではあるが。
 船体班長勤務も年度末には2年となり、そろそろ転勤かと思っていたところ、艦船班長から「次の配置を、横須賀造修所艦船部長か大湊造修所工作部長を考えているが、どちらを希望するか」とご下問があった。「大湊工作部長をお願いします」と即答した。DDH「はるな」の補償ドックや「着艦拘束装置」等で、駆け出しの頃から三菱長崎造船所には大変お世話になり、いつか長崎で仕事をしたいと佐世保勤務を希望していた。しかし、大先輩から「お前みたいな目を離すと何をしでかすかわからない奴は、天皇の御座す島から出さぬ」と言われていた。「なら大湊に行かせてください」と言うと、「あそこも目が届かないからダメだ」と言われ、実際、横須賀・呉・舞鶴を回っていた。
 大湊は、大先輩である故芝OBや故森口OBから大湊ドック再開の苦労話等を聞いており、また2期先輩である故庄子OBからドック扉船換装工事の話を聞いていた。船体マークにとって、艦船修理を造船所に委託することなく、自前のドックを自主運営して施工することは、海軍工廠復活に少しでも近づくことになり、大きな夢であろう。それが大湊ではできるのである。
 さらには、大湊で30年ぶり本格的にスキーを堪能できると楽しみにしており、話が決まればすぐにスキー用具一式を購入する予定であった。ところが、年を明けても、艦船課長から何も話がこない。スキー用具のバーゲンセールがそろそろ終わりになる時期になってしまい、焦った小生は、艦船課長と内内内定をお願いする直談判をしてしまった。ここら辺が、本人がルンルンであるにもかかわらず、「小生が大湊勤務を嫌い、むくれていた」という噂話の源泉であろう。
 また、これは後日聞いた話であるが、当時は誠に失礼ながら造修所の工作部長は1佐職配置にも拘わらず、どちらかといえば定年前の2佐が配置されることが多く、言わば名誉職配置としての色合いが強かったというのが、共通認識だったと思う。そこに、まだ定年まで期間があり、激務である海幕の船体班長からの転勤である。造船業界隈では「ペルシャ湾派遣ではかなり苦労していたのにもかかわらず、何か重大なヘマをして、左遷されたのではないか」との噂が広がり、一緒に仕事をしていた造船所の部課長等から心配する電話を頂いたのはオマケであった。スキー用具のバーゲンにも何とか間に合い、あとは移動のみとなった。

2 大湊工作部の環境
 平成4年3月、大湊造修所工作部長に着任。所内の着任行事も終わり、部隊指揮官ではないので、特に総監に挨拶する必要はないが、海幕等でお世話になったことから林崎総監に一応挨拶に行ったところ、一喝された。「貴様何しに大湊に来たのだ。しばらくおとなしくしておれ。」「ハハッ」であった。
当時、「はつゆき」型等の大型護衛艦の就役により、正面部隊の慢性的な人員不足が更に加速されていた。さりとて海上自衛隊全体の定員増は、簡単に要求、成立するとは見込めない。そこで部隊編成の見直しを行い、後方部隊の事務官・技官の定員を制服の定員に変更した後、その制服の人員を正面部隊の人員に振替える。すなわち必要とする艦艇乗組員等の充足率向上に寄与させるという施策は、誰もが考えることであろう。しかしながら、この編成の見直しでは、後方部隊の能力が半減してしまう。次の手として目をつけたのは、事務官・技官が抜かれた後方部隊の人員補充をするために、工作部技官の定員が狙われたのである。極論すれば、当面削減しても当たり障りのない組織である工作部の技官を制服に変更して、艦艇に乗組ませるということである。そこに昭和61年に民活法が施行された。本来は「各省庁が持っている許認可等の規制を緩和することにより、民ができることは民に移行する(ただし基本的に、運営に必要な予算はその事業から得られる利益等で充当する)」ことであり、すなわち官は予算を使わず民に事業等を移管して公務員を削減するということが趣旨であった。許認可権限のない防衛庁においては実施困難な施策である。しかしながら、これに飛びついたのが防衛部である。もちろん各省庁における実施状況を内閣に報告する際に最低限必要な措置だったのは想像できるが、一番影響が少ない施策として、「工作部を民活すれば問題ない」と定員を削減したのである。この工作部の民活は、工作部の仕事を単に外注するだけであり、民活本来の趣旨とは異なるものとの反対論もあったが、海幕技術部内でも方針が一本化できず、なし崩し的に工作部定員削減の方向となった。ただ、当時の工作部は、親方日の丸的に楽な仕事をする傾向もあり、工作部の存在意義を強く説明することが困難であったのは間違いない。
 工作部定員の削減が方針となっているが、各地方隊の工作部の定員削減が一律ではなく、削減しても大きく影響のない地方隊の工作部から順次削減されるのは自明の理である。すなわち言い過ぎかもしれないが、各工作部における定員確保をかけた生存競争となるわけである。大湊は地理的に故障等発生時において、東京等の専門業者に修理をお願いしても業者の到着に1日以上はかかるため、他の工作部に比べて自隊修理能力はかなり高かった。また海上自衛隊唯一のドックを自主運営していることも大きなアピール点である。
 さらに平成5年3月には、PG(スパロビエロ型水中翼ミサイル艇)が北海道余市防備隊に配属され、その整備を大湊で行うこととなっていた。このPGを陸揚げ整備するため、75トンのクレーンと2艇同時格納できる整備格納庫および移送装置が設置、装備される予定であった。PGの整備を工作部主体で実施すれば、大湊工作部の必要性をアピールできることから、他の工作部より定員削減について、より優位に立つことができる訳である。

3 行㈠、行㈡
 着任して気がついたのだが、工作部の現業係に行政職一種の技官が配置され、行政職二種として同じ仕事をしていた。最初は現場を経験させるために配置しているのかと思っていたが、良く調べてみると違っていた。驚いたことに、総監部の技官募集に、工作部の行㈡の採用枠がなかったことから、行㈠で採用して工作部に配置された技官を、欠員の出た行㈡配置にそのまま配置していたのである。行㈠の経歴管理など全く考慮しておらず、このままでは進級した時の経歴がメチャクチャになってしまう。早速艦船部長・武器部長と調整し、現場職を数年経験した行㈠技官を工作部工務科・艦船部・武器部に配置転換するよう人事を通じて所長の決裁をお願いした。勿論現場の係長クラス、ベテラン行㈡からの反発は大きかった。また本人も、住み心地の良い現場職からの移動は望んではなかった。しかしながら、各科長からの行㈠と行㈡の違いを説明、説得した結果、一応のコンセンサスが得られたものと思う。
 ただこのままでは、工作部の行㈡の補充がなくなってしまうことから、総監部の人事に掛け合い、行㈡の採用枠を工作部に回すよう、強烈にアピールした。総監部人事は、行㈡の募集について、高卒の希望者がなく、地元のUターン者および非常勤からの正規採用の要望が多いことから、いろいろな経歴の持ち主を中途採用し、各部隊に配置していた。「工作部はどうなっているのだ」と聞くと、「工作部を希望する人がない」とのことである。どうやら中途採用者にとって、海上自衛隊の職種に工作部の職があることがあまり知られていないため、一般職を希望しているようである。人事に、「今後工作部という職があることを採用時に教えてほしい」と要望し、了解された。
 しかしながら、高卒者を採用するのがベストであることは変わらない。地元には「むつ工業高校」という、なかなか優秀な学校があるにも拘わらず、なぜか希望者が皆無だった。そこで、工作部の科長に同校卒業者がいたので、ご挨拶、PRに行かせた。そこでの話は、「学校では、大湊ドックで行われている艦船修理を知らず、ましてや工作部という技能職種があることを知らなかった」と云うことである。昔は知っていただろうが、バブル等で忘れ去られ、また海自もまったくアピールすることもなかったようだ。先生方に工作部へ見学に来て頂いたところ、「むつ市にこのような大掛かりな設備があることに驚き、生徒に紹介します」と前向きな言葉を頂いた。翌年、希望者が1名いたと記憶している。

4 工作所維持費
 工作部の現場職員の作業服がボロボロなのに気がついた。工務科長である秋田技官に聞いたところ、「官から支給されるベージュの作業服は、基本的に事務服用途のビニロン製であることから、溶接等の熱ですぐ穴が開いてしまうため継ぎ当ての状態となる。行事にはボロボロの作業服で整列できないため、新品の作業服を行事用に取っておくことから、普段着ている作業服のボロが余計目立つ」とのことであった。秋田技官は武器技術屋さんで、武器屋さんは往々にして担当武器の専門知識はめっぽう詳しいが、他との調整には気が回らない人が多く見受けられるなか、調整能力に長けた柔軟な思考の持ち主であり、予算等の実務に詳しく、以後の工作部の見直しに手腕をふるって貰った。
 作業服を造船所と同じくポリエステル製に換えれば、直ぐにも解決できるので、工務科長に補給所に確認してもらったが、「ポリエステル作業服を補給する予定はない」とのことであった。ここで思い出したのが工作所維持費である。かつて着艦拘束装置の整備で苦労したおり、故山枡OB(当時横須賀造修所工作部長付)には大変お世話になった。インチサイズの特殊工具等を購入する際に、「安生君、工作所維持費はとても使い易い予算だ。将来機会があったらうまく使え。」と教えて頂いていた。すぐ調べると、作業服購入はOKである。しかし、当時の大湊工作部においては、工作所維持費で艦船修理に必要な弁等の部品・ドックで使用する資材等の購入に使用していたことから、作業服等を購入する余裕は全くなかった。これを打開するのは簡単である。艦船修理に必要な材料・部品の購入に艦船修理費と武器修理費を充当すれば問題ない。早速、栖原艦船部長のもとに出掛け、艦船修理費の工作部執行予算をお願いした。栖原艦船部長は、横須賀造修所のペーペー時代からの長年のお付き合いであり、お互い気心も知れているので直ぐOK。数百万円をゲットした。これを見て、秋田工務科長も武器修理費を武器部長にお願いし、同じく数百万円ゲットしてきた。
 工務科長がポリエステル素材で海自事務服にそっくりな作業服を見つけてくれたので、直ちに調達し、ボロ作業服問題は解決した。また工作所維持費に余裕ができたので、期限切れの安全帽の更新、造船所等の規格である重作業用安全靴、安全ベルトの調達等、労働安全に必要な個人装備品をそろえることができた。
(続く)